夫は帰宅して一息つくと、音楽をかけます。
ここ数日、ブルックナーの交響曲4番、5番、6番、9番と立て続けに聞いて、昨日帰宅するとベルリオーズの幻想交響曲をかけていました。
トランジットの月が、乙女座にある時はブルックナーで、月が天秤座に変わった途端に幻想交響曲だったので面白いと思いました。
ブルックナーは、もともとオルガニストで、通奏低音法に基づくオルガン奏法に色濃く影響を受けています。また、バッハの『フーガの技法』を研究していたことからも分かるようにその音楽は、理論が確立された上で成り立っています。ブルックナーは太陽乙女座で、彼の音楽は緻密で、乙女座的であると誰もが感じるのではないでしょうか。
ベルリオーズは、自身の体験したその時々の人との関わり合いが色濃く音楽に反映されているので、特に彼が作曲した中でも抜きんでて美しい幻想交響曲は天秤座に相応しいと思いました。
夫は、占いに興味がない人ですが、あるとき『易経』を読んでいました。
占いに興味が出たかどうかを尋ねると「『易経』は、『論語』のようなもので、教養のあるものなら読んでいるだろう」とのことでした。
確かにヘルマン・ヘッセが『ガラス玉遊戯』の中で『易経』を人類最高の知恵と呼んでいます。
『易教』を読んだとき、太田道灌の『兵法或問』の印象を思い出しました。
結句、易も占星術も兵法も、困難が起こった時、どのように対処すればいいかのヒントは授けてくれますが、安易に生きるため、小さい困難をさけるための道具ではないように思います。占いで先に知っていても、困難はやってきます。
多くの人は、これは大変だともがき苦しみ、占いを利用して、物事を俯瞰して考え、人間的に成長したり成熟したりして、問題を乗り越えるために利用しています。占いとは、本来、教養の部類に位置するのではないかと思います。占いを利用することは、逃げているわけでも、人間として未熟なわけでもないです。多くは人生を真剣に生きるために利用されます。
夫にあの人は何色と、私がオーラの話をすると、夫もあの人は何色とこたえて、それがとても正確なので「見えているの?」と聞くと「見えない」とのことでした。印象で言っているらしいです。夫はとても素直で正直な人なので、星の影響も受けやすく、ネイタルそのままの人生です。
自分の人生を自分で考え、様々な経験をしながら生きている人は、自分の中に占いの核になるような教養が備わっています。元来人間はその能力があり、それらの方が鑑定にいらっしゃると答え合わせに終始します。そして、自信をもって自分の人生をさらに愛するようになられます。人間にとって、占いは自分の人生を愛する楽しい道具なのだと思います。