占星術の使い方について考えている時期があり、ある晩夢をみた。
出生図の対面するハウスがそれぞれレムニスケート状に立体的に連なっている。
全体が光る花のような美しいものだった。
以前からハウスの関係について、東洋の占星術、紫薇斗数のような読み方をしたほうがしっくりするということがたびたびあった。
例えば、1ハウスが自分で、7ハウスが他者とくっきり線引きするより、対面するハウスは何割かお互い混じりあっていて影響しあっている。
2ハウスは自分の才能で得るお金と言われているが、私の場合は8ハウスの海王星を使って稼いできたように思う。また、海王星がしめすようなもの、芸術等にお金を使っている。
心理占星術では8ハウスは医療従事者やカウンセラー、占い師も関係してくる。
夢でみたレムニスケートのように循環していると考えるほうが自然であると思う。
今ではMCとICをどちらかが父母とみるより、この軸を両親軸と考える人が多くなっている。
同じ時期に、占星術で貴女はこういう性格ですねと言われることに違和感を感じていた。
私はアセンダントが牡羊座なので「負けず嫌い」とよくいわれるが、負けず嫌いではない。
競争が嫌いでずっとさけて生きてきた。小さい頃はお菓子もおもちゃも道も譲って、隅っこで本を読んでいた。太陽蟹座だが、本に書いているような蟹座の「性格」は当てはまらない。
私はこの時、西洋占星術で「性格」を読むのは無意味だとは思わないが、あまり意味はないのではないかと思った。
天空の物語を人間の生身に入れる作業。上のものを下におろしたときどう使うかは、そのサインのルーラーがどこにあり、どのように使うかをみなければ、自分の言葉で手繰り寄せなければと思った。
私にとって占星術は、性格を読むものではなく、これからの方向を指すものかもしれない。
そうやって、どのように生きるのが自分にとってよいのか指針を得るために活用している。
原因論ではなく、アドラー心理学のような目的論にこそ西洋占星術は向いているのかもしれないと考えている。